いつも「あたり前」と思っていたけれど
「あたり前」なんてないんだよね

・あなたを失ってはじめて気づきました。

・本当はあの時あなたに言いたかったこと。

・照れくさくて、感謝を言葉にしたことなかった。

 

あの時届けたかった言葉を今・・・。

第4回手紙コンテスト
受賞者


とみ 様

みやび 様
(順不同)
 K.Y 様
 ライム 様
 ゆうゆ 様
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受賞作品

金賞 とみ 様

母ちゃん。
あなたが作ってくれたお弁当を今も忘れない。

花型のにんじん。
ふわふわの玉子焼き。
まんまるのハンバーグ。
どれも私の好物ばかり。

そんな弁当を食べながら、
いつも仕事で会えない母ちゃんを想ったよ。

思えば父ちゃんが亡くなってから日銭が稼げる花の行商をはじめた母ちゃん。
花鉢を背負いかごに入れて県内はもとより、県外までも売り歩いた。
朝はいつも早く出かけてしまうため、台所には私のお弁当だけが残されていたっけ。

だけど一度だけ弁当を開けるといつもと違う衝撃が走った。

白いご飯に梅干しが一つ。
とっさに母ちゃんが自分の弁当と私のを間違えたのだと気づいた。
私にはいつも好物ばかりこしらえて。
自分はこんなもので済ませて。

その夜「お弁当まちがえてごめんね」と謝る母ちゃんに
私は「ううん」しか言えなかった。

でも本当はちゃんと言えばよかったな。

母ちゃん、無理をさせてごめんね。
でも、ありがとう。

銀賞 みやび 様

最期まで、呼べずにごめんなさい。

心の中では呼んでいたんだけど、声に出せなかった。
勇気を出して、呼べばよかった。

でもね、思春期の私には、出来なかったの。

実母亡き後、
自分の殻に閉じ籠った私をそっとしておいてくれて、ありがとう。

私の氷のような心を溶かしてくれたのは、あなたの作ってくれて
愛情たっぷりのおいしい手料理です。
体だけでなく、日に日に心まで元気になりました。

次第に様々な葛藤が薄れていくのを感じながらも、呼べなかった。

お母さん、
生きてる間にお母さんと呼べずに、ごめんなさい。

そして、父と再婚してくれて、ありがとう。

入選 K.Y 様

最愛の娘

あなたの姿がなくなり もうすぐ15年が経ちます。
生きていたら24歳になりますね。

突然すぎて お母さんは所々記憶が飛んでいます。
変わり果てたあなたの姿と対面した時 お母さんは地獄に落ちました。
苦しくて辛くて悲しくて。毎日毎日泣いても涙は枯れませんでした。

夢と言えば朝から晩まであなたを探す夢。
探しつかれてベンチに座っていたら、どこからかスッと現れて
何も言わずにお母さんの横に座りました。

「私はいつもお母さんのそばにいるよ。」
そうとらえて良かったんだよね。
そう言ってくれたんだよね。

あれからだよ。お母さんの考えが変わったのは。

お母さんが泣いたらあなたも泣く。
お母さんが笑えば あなたは安心する。

あれから約15年。

あなたの事を思い出して1人で泣く日もあるけど
お母さんは毎日頑張っています。
もし弱音を吐いた時は喝を入れてくださいね。

ずっとずっと好きです。

入選 ライム 様

今、告白します、いいえ白状します。

おばあちゃんのことは大好きでした。
でもお母さんの味方をしなければならなかった。
母は家で唯一、おばあちゃんと血の繋がらない人だったから。
私が味方にならなきゃ誰がなるの?
そんな気持ちで幼い頃ずっと過ごしていました。
お父さんの帰りは遅く、家には母にとっては姑さんであるおばあちゃんと義理の弟
二人(父の弟たち)、そして私と幼い弟が同じ屋根の下、暮らしていましたね。

私には優しいおばあちゃんですが、母には「この家のしきたり」とか「お里が知れる」
などと言って、厳しかったですね。
おじさんたちは無口な肉体労働者で、あまり母と会話するのを見たことがありませんでした。
みんなで笑い合っていてもその中に母が入っていけない様子を私は何度も見ていました。
悪気がないこともわかっています。
血が繋がらない同士が関わり心を通わせていくにはとても長い時間がかかるのでしょう。

そんな中、私はいつも母のそばにピタリと体をつけて寄り添っていました。
お母さん派を演じているつもりでした。
だからおばあちゃんに誘われた桃狩りも断ったし、学校の参観日もおばあちゃんなら
来なくていいなんて言ってしまいました。

ごめんね。でもそうするしかありませんでした。
それが自分の役目のように感じていました。

先日、私の弟の家族が実家にやってきました。
弟と私、母の三人でアルバムを見ながら話をしていたら、弟の息子、つまりは私の
甥っ子が「ママも仲間に入れてあげてよ」と涙声で言いました。
私は自分の幼い頃を思い出し、自分と甥っ子の姿を重ねました。
甥っ子が「ママ、一人ぼっちになっちゃうよ」と言ったとき、すっかり高齢になった
母の目からは涙がいく筋もこぼれ落ちました。

人生にはくり返されるものがあることを、時代は変われども嫁いだ女性の、声にできない
哀しみがあることを、ひしひしと感じました。
「おばあちゃん、同じことをしていたよ。それも何の悪気もなく」と私は一人心の中で
つぶやきました。
家族の連鎖に多くを教えられた瞬間でした。

おばあちゃん、あの日味方をしてあげられなくて、お母さんの方についてしまって
本当にごめんなさい。
お詫びにこれからは私がみんなをまとめて行くよ。
誰一人置き去りにしない、さみしい思いをさせないそんな太田家にしていきます。

もう一度、おばあちゃん、ごめんね。
一度も言えなかったけど大好きだよ。
お母さんと同じくらいに。

入選 ゆうゆ 様

お父さんへ


突然、一年の余命宣告を受けて一年半後に一人静かに旅立ちました。
早いもので、もうすぐ一年が経とうとしています。

あの時、体調の悪さに気付き、もっと早くに病院に連れて行っていればと今は只々、
後悔しかありません。

病院嫌いだったからギリギリまで我慢してたんだね。
しばらく、入退院を繰り返していましたが、体調が悪くなり車で病院に連れて行く途中、
後部座席から「すまんのう。。。」の声。

「謝らんでええ!」って怒ったけど、今となっては、あの時もう家には戻れないという
覚悟の瞬間だったんだと思う。

後日、洗濯物を持って行った時、やっと病室に入れてもらえた。
コロナ禍で時間制限があった為、早々に帰ろうとしたら、
「もう帰るんか?」 いつにない弱気な言葉。
「来週また洗濯物を持ってくるよ。」 それが最後の言葉となりました。

泣いてる時、寂しがってる時、
今だに着信が2回だけ鳴って切れる着信履歴のない電話。

あれ、お父さんだよね。
私と母の携帯だけに鳴る電話。
家族だけの秘密。
天国に行っても、心配かけるね。
でも後で、神様に怒られないようにね。

今年の暑い夏は、初盆。
お父さんの育てていたブトウがたくさん実をつけました。
いっぱいお供えするから、味見してね。
お願いばかりだけど、 ずっと見守っていてね。

ずっと私のお父さん。

手紙コンテストについて

2020年  9月     第1回手紙コンテスト『あの時届けたかった手紙』開催

2020年11月       第2回手紙コンテスト『感謝の手紙「ありがとう」』開催

2021年  4月     第3回手紙コンテスト『あの日の私へ』開催

2022年  8月     第4回手紙コンテスト『あの時届けたかった手紙』第2弾 開催

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